長崎電鉄(通称)は、長崎駅・大橋間のおよそ3キロに及ぶ区間が壊滅し、主要施設、建物、車両、従業員に大きな被害を受けた。このため、旧市内の全線も数カ月にわたって停止するに至った。
「当社は変電所(銭座町)を初め大橋営業所、茂里町工員詰所および倉庫、大橋寮、浜口寮、銭座寮等全壊後全焼し、車両の焼失破壊21両におよび、電柱の倒壊折損120本、電線及び軌道の焼失数箇所にして、従業員の死者百十余名に達したり。爾来、電車の運転不能となり休業するのやむなきに至れり」(『長崎市制六十五年史』)。
損失電車は保有車両56両のうち、可動車の約半数であり、従業員(動員学徒・女子挺身隊を含む)の死亡は総員500人のうち23%にあたる。
こうした被害の中で大きな比重を占めたのが、大橋営業所であった。大橋営業所は爆心地に近く、現在の大橋電停前で、当時は終点であり、車庫があり、死亡者のほぼ90%はここで犠牲となったのである。
(写真は大橋電停付近のもの) |