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長崎平和宣言

 私たちは忘れません。あの日、この地を襲った原子爆弾は、すさまじい熱線と爆風、そしておそるべき放射線を放ち、人々は身を守るすべもなく傷つき、死に絶えていきました。まちは破壊され、焼き尽くされました。かろうじて死を免れた人々も、孤独と不安の中で人間らしく生きることさえできず、今なお放射能後障害と死の恐怖に脅える日々を過ごしています。あの惨禍から51年。歳月は流れても、あの日の長崎を、私たちは語り伝えなければなりません。

1.過去の歴史を反省し、長崎の願いを世界へ
  人類の歴史をふり返ってみると、戦争は、幸福と平和を得る手段として何の解決にもなりませんでした。まして核兵器は、人類滅亡の危険をもたらす恐るべき兵器であります。そのことを世界中の人々に知ってほしいのです。
  私たちは、過去の戦争におけるアジア太平洋諸国への侵略と加害の歴史を直視し、反省と謝罪の気持ちをもって、あらゆる人々と連帯し、新たな戦争犠牲者や核被害者が生み出されることのないよう努力しようではありませんか。

2.今こそ核実験の禁止から核兵器のない世界へ
  ジュネーブ軍縮会議において進められてきた核実験全面禁止条約交渉が最終局面を迎えています。しかし、核爆発実験が禁止される一方で、コンピューターシミュレーションによる実験が除外されるなど、核兵器開発の余地が残される内容となっています。私たちは、核兵器開発につながるあらゆる実験の禁止を求め、さらに訴え続けなければなりません。
  国連は、1946年、最初の決議として「原子兵器廃絶決議」を採択し、1961年には「核兵器の使用は人類と文明に対する犯罪である」と指摘しました。この歴史的原点に立ち返り、今こそ国際社会に対する指導制を発揮するよう求めます。
  昨年11月、私は国際司法裁判所において、核兵器の使用は国際法に違反すると訴えました。本年7月8日、同裁判所は自衛目的についての判断はしませんでしたが、核兵器の使用と威嚇は実質的に「国際法に違反する」との勧告的意見を出しました。そして、国際社会に向けて「核軍縮につながる交渉を誠実に行い、完了させる義務が存在する」と明言しています。私たちはこの勧告的意見を積極的に受け止め、核兵器廃絶条約の実現を目指して前進しなければなりません。
  本年4月、中南米、南太平洋、東南アジアに続き、アフリカでも非核地帯条約が結ばれました。国際社会が手を結ぶことにより、核兵器を排除する平和的手法に学び、北東アジア非核地帯の創設を急がねばなりません。日本政府は、兵器用核物質の生産禁止と核兵器解体に伴う核物質の国際管理体制の確立など、非核保有国による反核包囲網づくりに向け、先導的役割を果たしてください。

3.21世紀の平和の担い手たちへ
  若い世代の皆さん、今日の平和で豊かな私たちの生活は、多くの人々の努力と犠牲の上に成り立っているということを知ってください。世界には飢餓、貧困、難民、人権抑圧、地球規模の環境破壊など、平和を妨げる様々な問題があることを学び、平和を築くために自分に何ができるかを考え、進んで行動してください。
  長崎市は、被爆50周年を機に、本年4月新しい原爆資料館を開館しました。さらに、平和公園一帯が「ナガサキ平和学習」の場となるよう整備を進め、21世紀の平和の担い手が育つよう人材の育成に努めます。
  市民の皆さん、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さ、平和の大切さ、そして生命の尊さを若い世代に語り伝えようではありませんか。

4.核抑止に立ち向かい平和の輪を広げよう
  核兵器を持つことによって他国を威嚇し、自国のみの安全を守ろうとする「核抑止」の考え方が私たちの前に立ちふさがっています。しかし、半世紀にわたり核兵器のない世界を訴え続けてきた長崎の声は、今、確かな足どりで広がりつつあります。
  長崎市は、これからもあらゆる手段を通じて平和の願いを発信し続けます。今こそ私たち市民は手を携え、被爆地長崎から世界中に平和の輪を広げようではありませんか。
  日本政府は、人類最初の被爆国として世界平和構築に努力する責務があります。核兵器は人類と相いれない存在であることを伝えるため、独自の原爆展を開催してください。高齢化していく被爆者に対し援護の一層の充実を図り、外国人被爆者にも同様の責任を果たさなければなりません。

  51回目の原爆の日にあたり、原爆でなくなられた方々の無念の思いを胸に、犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、被爆都市長崎市民の名において、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてまい進することを国の内外に宣言します。

8月9日
長崎市長 伊藤 一長