日本のみなさん、世界のみなさん、長崎の声を聞いてください。
この地で、48年前原子爆弾で亡くなった幾万人の叫びを、今、聞いてください。
この長崎の地に投下された一発の原爆は、爆発の瞬間、大火球となり、セ氏数百万度にも達し、すさまじい熱線、爆風、放射線が大地に襲いかかりました。
人々は一瞬のうちに黒焦げの死体となり地にころがり、水を求めて命尽き、髪は焼け、血を吐きながら次々に死んでいきました。草木は燃え、家は倒れ、この浦上の地から紅蓮の炎が広がりました。
きょうは悲しい原爆の日。私たちは、原爆で亡くなられた方々への思いと平和の願いを胸に、ここ爆心の地に集まりました。
1.今、過去を振り返り、現在を見つめ、未来に決意しよう
日本はアジアへの侵略を反省し、戦争責任を明確にし、戦後処理を誠実に行わなければなりません。
私たち日本人は、過去の反省の上に立ち、日本国憲法の平和希求・戦争放棄の精神の世界化をめざして、恒久平和の構築をねばり強く国際世論に訴えていかなければなりません。
長崎市民は、被爆都市の使命として、人類滅亡をもたらす核兵器の廃絶に向けて最大の努力をします。
2.核兵器の脅威は現在も続いている
核兵器保有国も、核兵器を保有しようとしている国も、これらの国々の指導者たちは、核兵器を持つことによって、自国の安全が保たれるという核抑止の考えを持ち続けています。核抑止の考えを持つ限り核兵器の廃絶は望めません。
今年7月先進国首脳会議は、核不拡散条約へ世界のすべての国の参加と2年後に無期限延長を求める政治宣言を採択しました。しかし、この条約は核兵器廃絶を めざした条約ではありません。速やかに、核実験の全面禁止と、多国間交渉により、核兵器全面禁止国際協定を締結すべきであります。
また、ロシアでは核兵器の解体、処理が進まず、そのうえ放射性廃棄物が日本海などに捨てられていることが明らかになりました。今こそ地球的規模の核汚染を防ぐため国際的な協力体制が必要であります。
3.原爆被爆者援護法の制定を-非人道的な核兵器を許さない証しとして
原爆による大量虐殺は、人道上、国際法上許されないことであります。しかも、被爆直後の10年間は被爆者に対して何の救済もありませんでした。今日、老 齢、病弱の中で、死の恐怖におののいている被爆者の心を考えてください。サンフランシスコ平和条約で対米賠償請求権を放棄した日本政府は、被爆者を援護す
る義務があると思います。
全国地方議会の約七割が援護法制定促進を求めています。援護法制定に賛成の国会議員の3分の2を超えました。国民的合意は成立したものと思います。非人道的な絶対悪の核兵器の使用を決して許さない証しとして、国家補償の精神に基づき援護法制定を急いでください。
4.広島・長崎の外国人被爆者に援護を。核実験や原子力発電所の事故の被害者に救援を
朝鮮半島や中国等の被爆者は、強制的に連れてこられ、非人道的扱いを受け、被爆してこの世を去り、あるいは帰国して原爆症、老齢、孤独に苦しんでいます。 また、核実験や原子力発電所の事故による放射線被害者も苦しみ続けています。私たちはこれらの方々へも救済の手を差し伸べるべきであると考えます。
長崎市は、長崎県、長崎大学などとともに「長崎・ヒバクシャ医療国際協力会」をつくり、外国人医師の研修受け入れ、外国への医師の派遣、外国人ヒバクシャの受け入れ治療などを行うことにしました。今後、この協力会の発展に努めます。
5.今、我々日本人が国際社会の一員として、国の内外においてなすべきこと
日本はプルトニウムを大量に蓄積することによって、核兵器を作るのではないかという懸念が、アジア・太平洋の国々に広まっています。日本政府は、非核三原則を立法化し、核兵器製造は決して考えていないことを表明し、核兵器廃絶運動の先頭に立つべきであります。
今、地球は病んでいます。飢餓、難民、民族・宗教対立による紛争、環境破壊等切迫した課題に直面しています。私たち日本人は、生活を小さくすることによって、地球環境の保全と飢餓、難民の救済に寄与すべきです。そして、紛争の解決に武力を行使することは誤りであります。
世界の主要な武器輸出は国連の安全保障理事会常任理事国であります。これらの国に軍縮の推進と、武器輸出禁止を求めましょう。
6.明日をつくる青少年へ-21世紀を平和の世紀にするために
48年前、みなさんと同じように未来に大きな夢と希望を持っていた人達が、学校で家庭で、そして工場で一発の原爆によって全てを失いました。人が人の命を奪い、他の国の安全を脅かすことは決して許されません。
みなさんは、被爆体験や戦争の歴史をよく学び、戦争の恐ろしさを心に刻んで、決して戦争を起こさないよう一人でも多くの人に語り伝えてください。そして進んで平和のために働き、夢や理想を実現してください。
7.長崎は世界に向かって平和の尊さを叫び続けます
あの原爆による残酷な死と破壊がありました。そして戦争は終わりました。長崎では、原爆の瞬間から4か月の間に7万数千の人が亡くなり、今日もなお6万4 千人の被爆者が老いと病弱のうちに、ひっそりと暮らしています。私たちは、この痛ましい犠牲をかた時も忘れてはなりません。原爆の悲惨さと平和の尊さを世
界に向かって叫び続けることは長崎市民の責務であります。
長崎市は、来る被爆50周年に、この長崎の地で、国連軍縮会議が開かれるよう努力いたします。
本日、世界平和連帯都市市長会議にご出席のみなさん、世界の都市が連帯し、世界平和のために、具体的な行動をとりましょう。
最後に、原爆犠牲者のご冥福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、全市民が一体となり、核兵器廃絶と世界平和実現のため、努力することを宣言します。
8月9日
長崎市長 本島 等 |