日本の皆さん、世界の皆さん、長崎の声を聞いて下さい。原爆が投下され てから40年、一日として忘れられないあの日、11時2分、強烈な青白い光は眼を焼き、秒速五百米の猛烈な爆風は人間の体を灼熱の空に吹き上げ、火煙の中
に屋根がわらは渦を巻き、窓ガラスの破片は人間の体に襲いかかり、セ氏三千度を超える熱線は、人間を内部まで黒々と焼いた。真夏の昼は、キノコ雲の下でた ちまち暗くなった。七万数千人が焼かれ、黒焦げになり、爆風にたたきつけられて死んだ。皮膚を焼かれた裸の男が炎をのがれてよろめき、血だらけの死んだ子
供が死んだ父親を引きずり、若い母親が首のない乳のみ子を抱きしめて、あえぎながら歩いて行く。
この40年間に、数多くの被爆者が放射能後障害に苦しみながらこの世を去り、また、今なお、人生の幸せを奪われた孤独な被爆者が、死の恐怖におののきながら生き続けています。
今日、この原爆の丘に全国から年老いた被爆者と遺族の皆さんが集まられました。また、世界平和都市市長会議に出席された世界22ヵ国、60余の市長さんた ちや、国内からの多くの市長さんや町長さんたち、内外報道陣の方々も集まっておられます。世界33カ国百十余の市長さんたちからも、温かいメッセージが寄
せられました。会議に参加された世界の市長さんに申し上げます。この長崎の原爆の惨状と、40年の苦しみを世界に伝えて下さい。世界の人口の大部分が都市 に住み、核戦争が起これば、真っ先に都市が破壊され、市民が全滅することは明らかであります。
核戦争から市民を守ることは、市長の大切な任務であります。私たちは、信頼と友情を深めて、世界の核兵器廃絶と平和への努力のために団結し、世界の飢餓の 救済、開発協力など、都市連帯の輪をひろげなければなりません。そのためにも、この会議が今後再び開かれるよう提言いたします。
米・ソ両大国の首脳が、この秋、ジュネーブで核軍縮交渉のテーブルに着くことになっています。被爆40年の今年こそ、戦後の核軍拡の歴史を逆転させる記念すべき年にして下さい。
日本政府に心をこめて申し上げます。第3回国連軍縮特別総会を早く開催すること、核兵器廃絶への積極的外交を進めること、被爆者の国家補償を速やかに実現 すること、非核三原則を文字通り厳守し、日本とその周辺を非核地帯にすることに努力してください。私は、米・ソ両国へ平和使節団を派遣することと、世界の
被爆者のための国際医療センターを設置することを提唱いたします。
原爆で亡くなられた方々のご冥福と、ご遺族と後遺症に苦しむ被爆者の健康をお祈りいたします。
長崎は、地球最後の被爆都市でなければなりません。私たちは核実験が行われる度に抗議し、常に核兵器反対を世界に訴えてまいりました。
核戦争へあと3分。核兵器廃絶宣言都市として長崎は、世界平和のためまい進することを、ここに宣言いたします。
8月9日
長崎市長 本島 等 |