昭和20年8月9日。長崎市は人類の想像を絶する焦熱地獄と化し、7万有余の尊い生命が奪われた。
あれから35年、いまもなお、数多くの被爆者が後遺症に苦しみ、死の影におびえ続けている。
戦争の惨禍を受けた国民が歳月の流れとともにその精神的・肉体的痛みが薄れつつあるとき、被爆者の苦悩は深まり、激しくなっている。
いまここに、被爆者、遺族、青少年はじめ、市民、国内外の人々が相集い、原爆によって死亡した方々のみ霊の前にぬかずき、心からその霊を慰め、ごめい福をお祈りした。
われわれは、原爆のためにたおれた肉親や隣人の悲しみと恨み、平和への願いを深く心に刻んでいなければならない。
後世の史家は、必ずや、原爆投下の残酷さを20世紀最大の汚点の一つに数えるであろう。
長崎市民は原爆の悲しみと憤りの中から立ち上がって、核兵器の廃絶と全面軍縮とを訴え続ける義務と責任、そして使命感を持つものである。
思えば、いまやかすかにさしそめた国際間の緊張緩和の曙光さえかき消され、核兵器開発競争はますます激しさを加え、今年の核実験の回数は昨年をはるかに超えた。長崎市がこの11年にわたって行ってきた188回の核実験への抗議は、完全に踏みにじられてきた。
核保有国は、戦争抑止力という名のもとに、核武装の強化をはかりつつある。
いま、この危険な方向を転換しない限り、地球上に真の平和と繁栄はあり得ないことを確信する。世界に蓄積された膨大な核兵器は人類を幾たびも絶滅させ得る量に達しており、技術的、管理的ミスによる核戦争偶発の危険性も強まっている。
人類は、滅亡の道を歩もうというのか。
時は迫っている。
世界の良心はいまこそ、ナガサキの声に耳を傾け、英知に目覚め、核兵器の廃絶と戦争の完全放棄を実現するために、行動と実践に立ち上がらなければならない。
被爆体験の継承は、長崎・広島両市民にとどまらず、国民の、いな全人類の課題として協力に推進すべきである。
いまや、真の平和の実現のため、人々は国境を越え、信教・信条を越えて、必死の努力を払っていくべきときである。
われわれは、ここに、日本国政府が核兵器の完全禁止と全面軍縮への決意を新たにし、国家補償の精神に基づき被爆者援護対策の確立をはかるよう強く訴える。
ここに、原爆犠牲者のごめい福を祈り、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向かって直進することを、全市民の名において内外に宣言する。
8月9日
長崎市長 本島 等 |