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長崎平和宣言

 きょう8月9日。長崎市民にとって忘れ得ぬ日である。深い悲しみと、耐え難い痛恨の日が34度めぐり来たった。
 この日、われらの町「長崎」は、一瞬にして凄惨な廃墟と化し、7万有余の尊い生命が奪われた。その惨状は、今もなお、われわれの脳裏を去らない。
 歳月は流れてすでに3分の1世紀。生存被爆者は、今もなお病床に呻吟し、しのび寄る原爆障害の毒牙におののく者は、後を絶たない。その肉体的、精神的苦しみを直視するとき、万感胸を打つ。
 原爆の恐るべき惨禍を体験した長崎市民は、原子爆弾が、残虐非道な兵器というに留どまらず、放射能の異常な拡散は、地球上にやがては人間の生存をも許さなくなることを知った。
 しかるに、近時、核兵器は質量ともに発達を遂げ、その保有国も漸次その数を増し、核実験はますます盛んになってきた。真に憂慮に耐えない。
  かかる現実の中にあって、長崎市民が「核兵器の廃絶」「戦争の完全放棄」を強く叫び続けるゆえんのものは、世紀の危機を自覚し、人類の自滅を回避して、共 存共栄の世界恒久平和の創造をこい願うためであり、再び「あの日のナガサキ」を地球上に再現してはならないという、長崎市民の心の発露からである。
 今日まで、無差別に、大量の人間を殺傷した原子爆弾投下の責任は何故不問に付されてきたのか。われわれは、今もなお心からの憤りを覚える。
 高齢化してゆく被爆者の悲痛な訴え、広範な大衆の平和への悲願は、常にイデオロギーに左右され、とかく軽視されてきた。34年の歳月は原爆の残酷さ、悲惨さ、その傷痕を風化させつつある。
 長崎と広島が有する原爆体験の意義は、極めて大きい。われわれは原爆体験を次の世代を担う若者たちに語り継ぎ、恒久平和の確立のため、決意を新たにして一層の努力を傾注しなければならない。
  昨年の国連軍縮特別総会、今年の米ソ両国の第二次戦略核兵器制限交渉の合意など、一連の国際的努力は平和への光明であるが、核兵器の禁止、軍縮の推進は平 和国家としてのわが国外交の中心的課題でなければならない。今こそ日本国政府は平和の先駆者として国際的努力を主導的立場で推進し、内にあっては被爆者へ の援護の手厚い施策を早急に講ずべきである。
 ここに、原爆犠牲者の冥福を祈り、被爆者の健康を願い、世界恒久平和の実現に渾身の力を傾けることを、被爆者並びに市民の名において、内外に宣言する。

8月9日
長崎市長 本島 等