1970年のきょう、長崎市は被爆25周年を迎えた。
今や原爆の地は緑の陰こゆき新しい都市となりつつあるが、一瞬にしてこの地をしゃく熱の地獄に変え、数万の尊い市民の生命を奪ったあの日の惨禍は今なお病床に苦しみつつある多くの人たちや、いつ消えるとも知れぬわが身の不安の中に、その傷跡をさらしている。
また世界のすう勢は核兵器を中心とする強大な武力の上に相対し、戦火のたえまないことは、まことに遺憾にたえない。しかも核兵器はより新しく、より強力なものとなり、もし再びこれが使用されるとすれば、そのまま人類滅亡の道につながることは明らかである。
われわれは多くの尊い犠牲を払い、歴史上かってなかった原爆の体験を持つがゆえに核兵器の完全廃止と世界の平和を強く強く訴えてきた。一方、本年わが国で は日本万国博覧会が開始され、その課題が「人類の進歩と調和」ということでも明らかにこの点を指摘しているものと思われる。
被爆後四分の一世紀という年月の流れの中に原爆の恐怖がしだいに薄れようとしている危機に直面している今、長崎市民のあの悲惨な体験を世界の人々の心のすみずみまで認識させることがいかに必要であるかを今ほど痛感するときはない。
ここに原爆殉難者のめい福を祈るとともにわれわれ長崎市民は決意を新たにして全国民と手を携え、さらに広く強い世論を背景として人類永遠の平和確立のために休むことなく力強くまい進することを全世界に宣言する。
8月9日
長崎市長 諸谷 義武 |